2003年国際協力農業体験講座(タイグル−プ)スケジュ−ル

9月9日 火曜 (1日目)

   730 鹿児島空港集合(鹿児島出発組)---枚田先生と水永先生のお見送り

   800 福岡行き出発(JAS800

   840 福岡空港着

  1000 メンバ−全員集合---福岡空港国際線ターミナル

  1200 バンコク行き出発(TG649

  1520 バンコク(ドンムアン空港)---空港内を散策

  1810 チェンライ行き出発(TG142---ミャンマ−グル−プとお別れ

  1930 チェンライ着---谷口先生、鐘川さん、ヨハンさんたちのお出迎え

  2000 夕食(チェンライ市内)

  2300 就寝---チェンライ市内Saenphu Hotel

10日 水曜 (2日目)

   630 起床・朝食・チェックアウト

  800 出発---バス内で谷口先生の講義

  930 チェンセン税関訪問---チェンセン税関長による中国との交易の話

  1030 メコン川貿易船係留所見学

  1210 ゴールデントライアングル見学

  1220 昼食---メサイ(タイ最北地点、ミャンマ−国境)

  1450 フジ精米所訪問---梶さんによるタイでの日本米栽培の話

  1720 21世紀農場着

  1730 夕食

  1930 オリエンテーション

  2000 講義−---池松さんによる倭族(ミャンマ−)・タイの教育改革・有機農業の話

  2300 就寝

11日 木曜 (3日目)

   520 起床・朝食---体操・ランニングは雨の為中止

  545 朝市見学---ポンパヨム村

  930 Chun病院エイズセンター訪問---エイズ問題の話と座談会

  1200 昼食

  1300 農業銀行訪問---支店長による農業協同組合の話

  1530 ミシンプロジェクト、ナマズ養殖見学---パ・ハオ村(トムさんの案内)

  1720 夕食

  1930 講義---ポンパムさん(モン族)による山岳民族の話

  2300 就寝

12日 金曜 (4日目)

   520 起床・体操・ランニング・朝食

   930 パヤオ農業高校訪問---スライドショ−と校長の話(通訳は田中さん)、敷地の見学

  1200 昼食---パヤオ湖畔でパヤオ農高生(21世紀農場出身)と会食

  1420 パヤオ県森林局訪問---局長による森林政策の話

  1720 夕食

  1930 講義---青年海外協力隊員(鈴木さん:チェンライ山岳民族開発福祉センタ−、岡田  

      さん:YMCAチェンマイ)による国際協力活動の話

  2300 就寝

13日 土曜日 (5日目)

   520 起床・朝食---体操・ランニングは雨の為中止

  830 植樹実習---ポンパヨム村小学校

  1000 農場実習---堆肥運び、しょうが味噌漬け作り

  1200 昼食

  1330 21世紀農場内見学

  1600 パン寮(モン族)訪問

  1720 夕食

  1900 ポンパヨム村民との交流会

  2200 就寝

14日 日曜日 (6日目)

  520 起床・朝食

  800 男:農場実習(しょうが味噌漬け作り)、女:谷口先生の講義

  1200 昼食

  1300 大型ショッピングセンタ−見学---チェンライ市内

  1730 夕食

  1800 交流会---研修生、ストリ−トチルドレン、パン寮生徒とのお別れ会

  2300 就寝

15日 月曜日 (7日目)

   520 起床・朝食---体操・ランニングの代わりにサッカ−

  940 サハサスクサ学校訪問---Wichai校長による山岳民族の教育問題の話

  1200 昼食

  1340 ワカタケ寮、フジヤマ寮、メコン寮(いずれもヨハンさん経営)訪問

  1630 アカ族の村到着---アカ族の子供たちと交流

  1930 夕食

  2020 アカ族村民との交流会---村が抱える問題について意見交換

  2200 就寝

 

16日 火曜日 (8日目)

   630 起床

  700 男:谷口先生の講義、女:小学校訪問

  820 朝食

  900 アカ族の村出発

  1200 昼食---ダイエ−さん(ラフ族)の農場

  1230 ダイエー研修農場---ダイエ−さんによる山岳民族の農業教育の話

  1410 暁の家訪問---中野ほづみさんによる山岳民族の教育問題の話

  1700 メジョ−大学到着

  1830 夕食---メジョ−大学内

  1930 ナイトバザ−ル見学---チェンマイ市内

  2100 メジョー大学学生との交流会

  2300 就寝

17日 水曜日 (9日目)

   700 起床

  810 朝食

  950 メジョー大学訪問---Numchai副学長の話、敷地の見学

  1200 昼食

  1300 エレファントキャンプ、寺院見学---チェンマイ市内

  1730 チェンマイ空港---ショッピングセンタ−で夕食、自由行動

  2100 バンコク行き出発(TG642

  2210 バンコク(ドンムアン空港)---空港内を散策

18日 木曜日 (10日目)

  050 福岡行き出発(TG648

  800 福岡空港着---解散

  1215 鹿児島行き出発(JAS805

  1255 鹿児島着 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         国際協力農業体験講座に参加して

                     農学部生物環境学科2年  

 象がいて稲作と仏教が盛んな国、あとムエタイがあり食べ物が辛く蒸し暑い、僕がこの講義に参加しタイに行く前までの僕のタイについてのイメージです。実際行ってみるとそんなものはすぐに無くなりました。しかしいろいろな人と出会い、タイという国のいろいろな面をみせていただいたのでタイはこうだった、と一言で言い表すことはできません。例えばタイの人です。21世紀農場や村の人々はこれからの経済的発展を夢見ていきいきとしていたし、学校や寮の子供たちも純粋に、学ぶことを心からの喜びとし、とても綺麗な目をしていました。しかし、その反面エイズ患者の人達は明るく振る舞ってはいましたが時折影のある表情をしているように見えたし、観光客相手に商売をしている人々に僕は卑しいとさえ思いました。文化にしても山岳民族の村からバンコクの街までとても幅広いと思いました。国としての問題もいくつかあり政府も積極的に解決にむけ取り組んでいるように感じました。国民の貧富の差が大きく、それに関連して麻薬の流行、売春、それによるエイズ感染等の防止、さらには山岳民族の社会進出、農業の推進、森林回復などの活動に取り組んでいました。問題の複雑さの違いはあるとは思いますが日本の政府より前向きで頼もしく感じました。その中でも僕が一番興味深かったのは森林回復についてです。それは僕が今大学で森林について学んでいるからでありタイに行く前から発展途上国の特に現地の人々が森をどのように考えているのかとても興味深かったからです。行く前はおそらく現地の人たちは木について何の知識も無いはずだから自分達が経済的に豊かになるために木を切り倒し木材を売り土地を田や畑にしたいのではないか、ただ先進国や政府に止められて渋々今ある土地で貧しく生活しているのではないかと思っていました。しかし、国も、国民も、山岳民族の人たちも森を守る事に意外と積極的でした。政府はいろいろな制度や援助の仕組みを整えて国の緑化を推進していて、村の人々は感覚的に森の水源涵養機能を知っていたり日陰やキノコなどの森の恵みを大切にしていたり、木に宿る神の存在を信じていたりと森を増やすことに賛成していて植樹も進んでしていました。ふと話しに聞いた昔の日本とシンクロしているようにも感じました。今までは果物等の食べられる物、チークなど木材として売れる物を植えていたそうですが、最近では海外の市場が安定していて村民の収入になるゴムの木を植えているそうです。このゴムの木は様々な所で見聞きし、植えられていてタイ政府も外貨獲得にかなりの期待をしているようです。しかしこれだけのに広範囲にこれだけたくさん1つの種を植えて生態的に大丈夫なのか、少し疑問も感じました。もう1つ森に関して驚いた事があります。それはタイには森の面積が国土の20%程度しかないということです。その話を聞いた後、実際に山の上の方に登ってみてなるほどと思いました。遠くから見たら緑の所も近くで見ると畑や草むらになっているのです。これは山岳民族の長年にわたる焼畑農業のあとらしいのです。しかし彼らも生きるためにやっているわけで別に悪意があるわけではないし今は国の政策で国有林を勝手に燃やしてはいけないと言われていてやってないようなので、政府の植林が進めばこれは解決する問題だと思います。そして村の子供が学校へ行きしっかりとした農業技術を学び今ある土地で十分な作物ができれば村も豊かになるのではないでしょうか。これがタイの森に関して僕が学んだ主な事です。

 他に学んだ事というより感じた事なのですが、書いておきたい事があります。それは伝統と発展についてです。後日一緒に訪問した友人が何とか山岳民族の人々の伝統を守りたいという話をしていました。21世紀農場でお世話になった谷口先生は役に立たない伝統は姿を消していくというような事をおっしゃっていました。感情的には僕も彼らに伝統を守り続けて欲しいと思います。しかし、彼らの生活も今は全く閉鎖されたものではなく病院があり学校があります。お金を支出する要因がある以上収入を求めるのは当然で何より彼ら自身経済的発展を求めていました。いくら僕達が伝統を守って欲しいと言っても目の前に便利なものがあればそちらを使うだろうし僕達も多くの伝統を発展のために消しつつある立場です。できるだけ伝統を守りながら発展して欲しいなと願うと同時に自分も日本

の伝統を見直していきたいなと思いました。

 国際協力農業体験講座の授業目標は受講生が実際に海外に赴き、現地の人々との交流を通じて実際の国際感覚を身に付けるとともに、農林業分野における国際協力のあり方を学ぶことです。そして僕がこの講義に参加した理由、目的は異文化に触れ刺激を受け自分の視野を大きく広げる事と発展途上国において森林破壊はどのようにとらえられているのか、現地の声を聞く事でした。刺激は大いに受けました。国外での生活が初めての僕の目には日本にあるもの、無いもの関わらず人、物、文化、風習、その他ありとあらゆるものが新鮮なものに映りました。さらに様々な立場の人の話も聞けて自分にはなかった考え方も聞く事ができ自分の視野を広げるという目標は十分達成できたと思います。その話の中で森林についても国と村人、両方の立場から話を聞くことができたのでその目的もクリアです。そしてタイで出会った日本人の方々に国際協力のあり方の基の部分を見せてもらったような気がします。その方々は先進国、発展途上国の人間としてではなく一人の人と人として接し合っていたように見えました。おそらくそれが国際協力の一番大切で一番基になる部分なんだと思います。

 最後になりましたが谷口先生、池松さん、パンさん、ヨハンさん、トムさんを初め21世紀農場でお世話になった方々、青年海外協力隊の鈴木さん、岡田さん、その他訪問させていただいた方々、話を聞かせていただいた方々、遊んでくれた子供たち、僕にこのような機会を与えていただいた先生方、全ての人たちに心から感謝します。この講義で得たものは今後の自分の将来に活かしていきたいと思います。

 ありがとうございました!コープゥンカップ!!

 

タイでの研修を終えて

農学部生物生産学科3年

 私は2003年9月9日〜18日の間、国際協力農業体験講座の一環としてタイでの研修に参加しました。私がこの研修に参加しようと思った理由はたくさんありますが、1番の理由は海外での農業体験を通して私たちと同じアジアの地域の農業について理解を深めることができ、このような貴重な体験が今後の自分の進路選択や農業に対する考え方、さらにはどうこれから生きていくべきなのかを考えていく上で必ずプラスになると思ったからです。そして、タイへ研修に行く前に、自分なりに目標を立て吸収できるものはすべて吸収し、しっかり勉強してこようと強い気持ちを持って研修に臨みました。

 実際タイでの研修を終えた今、この研修に参加して本当に良かったと思う気持ちと、たくさんのことを学ぶことができ約10日間で大きく自分が成長できたという満足感でいっぱいです。研修を通して得られたものは数多くありまずが、中でも自信と自覚を得られたことが1番大きなことだったと感じています。まず、研修を通していろいろなことを勉強していく中で、成長していく自分自身を確認することができ、帰国の途についた時には世界観や今までの感覚が研修前の自分とは明らかに違っていました。これは研修で得られた大きな成果であり、もう今までの自分ではないということをしっかりと感じ取ることができた瞬間でした。この研修で大きく飛躍できたという確固たる自信を今後の生活に生かしていきたいです。そして、自信だけではなくはっきりとした自覚が自分の中で確立されたことも、自分にとって研修での最高の収穫ともいえます。その自覚とは、研修中に谷口先生がおっしゃった話の中に、「君たちは世界のリーダーになる」という言葉がありました。この言葉を聞いたとき、私は非常に大きな感銘と衝撃を受け、自分がこれまでどんなに小さくて目標のない人間であったか恥ずかしくなりました。自分たちは世界のリーダーにならなければならないという先生の強い言葉によって、私の考えは大きく変わりしっかりとした自覚が持てるようになりました。

 また、研修を通していろいろと考えさせられたこともありました。研修の間、たくさんの箇所を訪問していろいろな話を聞きましたが、中でも私が特に関心を持ったのはタイにおける高地民族の人たちのことでした。高地民族の子供たちの寮、学校、そして直接村を訪問してたくさんの話を聞くことができ、直接この目で見て感じ取ったこともあります。タイの街の方は自分が想像していたよりもはるかに進んだ国であって、人・車・商店などにぎやかな光景が目に映りました。ところが、山地の高地民族の人たちが暮らしている所は、道がひどく車が通るのがやっとという状況でした。電気やガスもない、着るものも満足にないような人々の暮らしている村に私たちは泊まりました。その村というのは、大変山奥にあって、日本で何不自由なく生活している私たちにとっては想像もつかないような生活を村の人たちはしていました。しかし、貧困に苦しんでいるはずの村の人たちでしたが、村人たちの目は輝き、子供たちは元気に遊びまわり、情の厚い人ばかりの大変心の豊かな村だったと心に残っています。このとき私は、日本は本当に豊かな国といえるのか大変疑問に思いました。物はあふれかえり、何1つとして不自由と思えることのない暮らしが本当の豊かさだとは思えません。私はタイに研修に来て、日本で当たり前のように生活していることが、実はどんなに贅沢なことであったのか思い知りました。しかし、このようなことに気がついて生きている日本人はほとんどいないでしょう。これからの日本は本当に豊かな国となるために、まだまだ足りないことや外国から学ぶことが多いと強く思いました。例え途上国からでも学ぶべきことはたくさんあります、日本はこの姿勢を忘れてはいけません。

 そして、この研修で大切なことは研修後に自分をどう変えて、今後の生活に研修で学んだことを生かしていくかだと思います。海外に行って帰って来てそれで終わりだなんて事には絶対したくありません。具体的には、時間の無駄をしないで一瞬一瞬を大切にしていけるような生活を実践していきたいです。さらに、この研修で学んだことすべてを今後の生活、そして自分の生き方にぶつけていくような感じで今よりもっと自分を成長できるように努力できたら良いと思っています。最後に、今回の研修では谷口先生をはじめたくさんの人にお世話になりました。自分に、このような大変勉強できる良い機会を与えていただきとても嬉しく思っています。谷口先生、いけまつさん、ヨハンさん、青年海外協力隊の隊員の方、ダイエーさん、鐘川先輩、そして研修を通して出会ったすべての人に対し感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、どうもありがとうございました。

「国際協力農業体験講座」

農学部生物環境学科1年 

はじめに

私がこの講座に参加した理由は植林・育林を通して国際協力をしたいと考えているからだ。なぜ植林・育林や国際協力をしたいのかというと、私は木が好きで森林破壊を食い止めたいし、人の役に立つ仕事をしたいと考えているからだ。また、外国を肌で感じることができるし、外国に行くことで学ぶこと・考えさせられることが多くあるだろうと思ったのもこの講座に参加した理由のひとつである。

物乞い

 私たちがタイに着いて二日目のことである。私たちはタイの最北部のメサイからミャンマーへ入国する予定であったが、入国手続きが厳しくなっておりミャンマーに入国できなくなった。そこでメサイの街を歩くこととなった。といっても店を少し見て回るだけであったが…。私がある店先で商品を見ていた時だった。後ろからつつかれた。誰だろうと振り返ると、赤ちゃんを背負った5歳くらいの女の子が手を合わせて私をじっと見つめていた。すぐに物乞いをしているのだとわかった。初めはなんだか怖くて無視をしていた。しつこく私を追って手を合わしてきた。それでも私は何故だか怖くて無視をした。とうとう追いかけてこなくなった。私は遠くからあの女の子を見た。さっきと同じように他の人に物乞いをしていた。だんだん私はやりきれない思いでいっぱいになった。私は持っていた全ての小銭の6バーツ(18円)をあげることにした。そして女の子に小銭をあげた。少し笑みを浮かべ、礼をして去っていった。そしてまた女の子は物乞いを始めた。私はこころが痛んだ。もちろんお金をあげたせいなんかではない。かわいそうでたまらなかった。なぜあんなに幼い子がお金を稼がなくてはならないのか?同じ人間なのになぜこんなに貧富の差があるのか?憤りさえも感じた。

 まんまと女の子に騙されたなと思う人がいるかもしれない。しかし幼い貧しい子に見つめられたらどうだろう。やりきれない気持ちになってもおかしくはない、と私は思う。

エイズ問題

 私たちは三日目にエイズセンターを訪問した。エイズセンターに入ると皮膚は黒ずんでおり目もうつろな人たちが目にはいった。彼らがエイズ患者なのだ、今までエイズ患者を見たことはなかったがすぐに分かった。彼らの目はどこか遠くを見つめていた。何を考えているのだろうか、私には分からない。一方で、この人もエイズ患者なのだろうかと思われるほど元気で明るいエイズ患者の人たちもいた。しかしこの元気な人たちもだんだん元気がなくなっていくのだろうと思うと切ない気持ちになった。すでにエイズの発症を抑えられる薬が開発されているが、タイでは貧しいためにその薬を買うことができない人がほとんどなのだそうだ。貧しいが故の死。なんとも残忍である。彼らには病気にまけないでいつまでも元気でいて欲しいし、彼らも手に入れられるような良い薬がはやく開発されて欲しい。

高地民族

私たちは高地民族のアカ族のバンロンゲン村に一泊だが民泊をした。この村の人々に対して失礼だが、この村は貧しい村であった。電気は通っておらず、着る服も十分にはないみたいだった。この村が抱える問題は収入の得られるような農業がなされていないということだ。つまり何を作れば売れるのかとか、売ったとしても割に合わないということだった。割に合わないというのは、作物の運送費がけっこうかかるのも一因なのだそうだ。この村に行くのに町から二時間はかかったし、また道路状況が悪すぎるのだ。町からこの村までの道路はほとんど整備されておらず、四駆でないと通れないし(バイクなら通れるが)、雨が降るとタイヤが溝にはまったり四駆でも通れなくなったり、とどうしようもなくひどい道路なのだ。また森林局の政策により植林をせねばならず、農地が減っているとのことだった。他にも幼稚園をつくりたいとのことだった。小学校に入る前にせめてタイ語ぐらいは話せるようにさせておきたいそうだ。この村の20歳以上の人たちでタイ語を話せる人はほとんどいないそうだ。またこの村が欲しいものは電機、情報、整備された道路などだが、一番欲しいものは子供を高校へいかせられる奨学金だそうだ。タイ(特に高地民族)では勉強したくてもできない子が多い。日本は勉強できる環境にあるのに怠ける子がいる。これも少しは貧富の差の影響があるだろう。

この村から帰る途中、ある女性と出会った。この女性は病院に行きたいそうで一緒に車に乗って行った。なぜこの女性は病院に行きたいのかを谷口先生に尋ねてみた。谷口先生がおっしゃるにはおよそ次の通りだった。彼女が風邪になり、夫に病院に行きたいと言ったそうだ。すると夫は金を稼げと言ったそうだ。そして彼女はお金を稼いでもあなたは麻薬に使うじゃないの、自分でもお金を稼ぎなさいよ、などと反論したそうだ。実はこの夫は、麻薬を吸い、ろくに働きもしないそうだ。すると夫は怒って、起き上がることができなくなるくらいまで女性を殴ったそうだ。実際、彼女の額には打たれた跡があったし、車の中では震えていてとてもつらそうだった。このようなことを見聞きして、減ってきてはいるがまだまだ麻薬の問題が残っているのだと痛感した。そして日本という国が少しいやになった。なんというか裕福になりすぎていて…、上手く言葉で表せられないが、物乞いの子や薬の買えないエイズ患者たちなどのこともあり、少し日本がいやになった。

国際協力

 21世紀農場での夜の講義で、青年海外協力隊の岡田さんと鈴木さんの話しを聞く機会があった。二人とも色々と苦労をされている様子だった。タイ人はあまり予定を立てずに気ままに過ごすそうだし、また仕事の話しになると忙しくないのに今は忙しいからなどといって話しをせずにどこかへ行ってしまうこともあるそうだ。そして事前に語学はかなり勉強されるそうだが、それでも言葉の壁があり大変なのだそうだ。タイに限らずとも国際協力というのは難しいものだと思った。しかし任務中の協力隊員と色々と話しができたことはとてもためになったし、私も青年海外協力隊ではなくとも、いつの日か外国で国際協力をしたいとさらに強く思うようになった。

最後に

 私は今回の研修を通して日本にいては学ぶことができないような、実に多くのことを学ぶことができた。しかし学ぶだけでは自己満足に終わるだけだと思う。学んだことを活かして自分を磨いていくことも大事だと思うし、周りの人々にも伝えることも大事だと思う。また今回の研修を通して、英語の必要性をひしひしと感じた。英語は世界共通語だ、という言葉は真実ではないと思うが、今回の研修を通して英語が話せればなあと思うことは何度もあった。だから英語でコミュニケーションがとれるようにもっと英語を勉強しようと思う。

 最後になりましたが、この研修のためにご尽力してくださった谷口先生をはじめ多くの方々に本当に感謝しています。ありがとうございました。

 

タイを体験してみて

生物資源化学科 3年 

 タイでの思いはたくさんあるが特に印象に残っていることをいくつか書こうと思う。

エイズセンター

 エイズセンターに向かう朝、私はどんな態度で患者さんと接すればいいか分からなかった。今まで私は死を体験したことも、死に直面している人に合ったこともなかった。患者さんを傷つけるのではないか、困らせるのではないかと質問も怖くてできなかった。でもエイズセンターの人たちは明るくてニコニコしていて、私たちがたこまで来てくれたことをとてもうれしいと涙を浮かべて言ってくれた。ただ訪れるだけでこんなにも彼らに与えるものがあるのかととても驚いた。彼らにとって他の人に思われることが本当にうれしのだろう、と彼らの話を聞いて思った。支援することがなんだか分かった気がした。以前は、愛で地球が救えるか!とか思っていたけど、大事なのはお金の量よりもその気持ちだと気付き大切なことだなーと実感した。患者さんが、周りにエイズの人がいたら差別しないで助けたりはげましてあげて欲しいと言っていた。これからはエイズの人だけでなく、もっと身近な身体障害者の人などにも怖がらず接してみようと思う。

山岳民族について

 私たちはアカ族のバンロンゲン村を訪れた。ものすごく悪い道を、まるでアトラクションに乗ってるかのように揺れる車の中、2時間ほどかけて登った。村に着くとまず、子供の多さに驚いた。そしてほんとにかわいい!子供たちは最初少し怯えていたが、お菓子をくばったり鬼ごっこして遊んだりするうちにどんどんなついてくれた。日が暮れてももっとあそぼうと女の子3,4人がずっと手を繋いでくれて、泣きそうなぐらいにうれしくなった。

 その夜はミトの家に泊まらせてもらった。お互いカタコトのタイ語とジェスチャーで会話したりしてとても楽しかった。日本から持ってきた万華鏡をプレゼントしたらとっても喜んでくれた。夜は電気がないのでランプや暖炉のあかりだけ。とても不自由だけど暖炉に集まってみんなで話すのは和やかで心地よかった。

(国籍について)

 山岳民族は、これまでタイ、ラオス、ミャンマーに連なる山々を移動しながら暮らしてきた。しかし政府によって国境を定められたため、国を行き来出来なくなり、社会に組み込まれて現金収入が必要となったと事前学習で教わった。山岳民族の人たちは国籍を取るのが難しいため持っていない人が多い。国籍がないと、運転免許やパスポートが取れないし、大学に進学出来ない、就職が難しい、医療費が高くつく、などとても不便だと現地の人が言っていた。じゃあ国籍なんて作らなければ良かったのに。国籍って何なんだろう?日本では持っていて当たり前で考えもしなかった。国籍は他の国への人の出入りを規制し、税金を徴収して公共物を建てたり社会保険を維持するのに必要なものだ。でも移動して暮らす人々をもう少し考慮し、押し付けるべきではないと思った。

(麻薬や色々な問題)

 麻薬の生産、運び、吸引に関しては最近はじめられた政府の政策でかなり減ってきている。財産を没収され、死刑や長期刑務所に入れられ、また多額の財産の証明が出来なければ同じように捕まるとタイに住む寺田さんが言っていた。私はかなり強引に思ったけれど、成果は高いので国民の評価は良いらしい。麻薬に対する国民の意識はとても高く、いい事だと思った。しかし私たちが訪れた、サハサ・スックサ−・スクールという山岳民族の学校では、麻薬を取り締まるために生徒の友達を家に訪問させて、油断した親の麻薬所持の証拠を掴む方法があると聞いた。どんな理由があろうが、子供たちにそんなことさせていいのかと疑問に思った。

その他に、言葉、教育、収入、過疎化などの問題がある。山岳民族の20歳以上はほとんどタイ語を話せない。村にもそれぞれ学校はあるが、雨が降ると通行が困難になるため先生が来れなかったり、もともとあまり来なかったり、また教育内容的にも不十分に感じた。学校が遠い子や、十分な教育を受けたい子は、寮からふもとの学校に通わなければならない。さきほど紹介した山岳民族の学校の授業料は、全て政府が援助していると聞いて驚いた。だけど小学校では初めは言葉がわからない為友達や先生とコミュケーションが取れず、また国籍を持たない事で差別やいじめを受けることもあり、寂しくて山に帰ったきり戻らないことがあるそうだ。とてもかわいそうだ。収入にしても、市場が分からずどんな作物を作れば利益が得られるか分からない。ふもとまでの運搬のコストが大きい。焼畑を禁止され、さらに植樹をしなければならないため土地がなくなるなど、いろいろな問題がある。去年はトマトが1キロ1バーツ(3円)だったと村の人が言っていた。ほんとに大変なのだ。北タイは雨季に土壌が流亡しやすく、土の養分もほとんど残っておらず農業をするには不適である。貧困のため麻薬に走る山岳民族も、生きるために命を張っているので彼らが悪いとは言い切れない。他に変わる収入を得ることができるようにならなければ麻薬は無くならないだろう。今では谷口先生や池松さんなどボランティアの人たちのおかげで果樹の生産に成功しつつあるのもあって、麻薬から抜け出すことが出来たそうだ。あらためてボランティアのちからを感じた。でも村の子供たちが学校に行くときみんな駄菓子屋で買い食いをしていた。毎日だったら結構な額になるだろう。悪いとは言わないが、お金に困ってるならお金の使い道をもう少し考えればいいのにと思った。

(協力ということ)

 私はこの村がとても気に入ってしまった。一泊しかしなかったから嫌なところが見えなかったのもあるかもしれないけど。村の人たちはみんなとっても素直だと思う。人も家も動物も風景もとても愛しく、心が洗われるようだった。

私はこの村がずっと変わらずこのこままでいて欲しいと思った。でも村の人たちは電気やテレビなど豊かなものを望んでいる。山岳民族では全体的に言葉などの伝統文化が急速に忘れられているそうだ。この村が豊かになれば、どんどん新しいものが取り入れられて不便なものは切り捨てられるだろう。選んでいくのは彼ら自身で、押し付けてはいけない。ボランティアとは彼らと一緒に考えて、お互いの力を出し合い補いつつ、いい方向へ導くことだと思う。この村が変わってしまうより、村が無くなることの方がもっと悲しい。でも色々なものが変化しても人や文化は変わらないでいて欲しいと思った。

21世紀農場

 私たちがお世話になった21世紀農場では、若者の教育と、新しい農業の開発に力を入れていた。私は土着菌を使った有機肥料作りに興味を持った。山岳民族住む山の斜面は養分が少ないため、肥料も与えずに長い期間作物を作ると、木も生えない荒地になってしまう。しかし化学肥料より作物の方が安いので土地は痩せる一方である。ダイエーさんが農薬を使うと土が硬くなると言っていた。この有機肥料は簡単に作れて、低コストで養分を補給できる。有機物の団結化により土が軟らかくなって、水を吸収し易くなり土壌流亡も抑えられる。果樹園は栽培方法によっては裸地と変わらないくらい土壌流亡が激しいので気をつけて栽培して欲しい。有機肥料ごと流れては意味ないし。流亡を防ぐにはやはり森林の役割が大事だとあらためて感じた。

 教育の面では、若者を21世紀農場に住まわせて、農業の技術と村に帰ってから他の人を引っ張っていけるようなリーダー性を育成している。私たちが訪れた山岳民族の村で谷口先生は、若者を農場へ送りなさいと村人に訴えていた。村人は誰か技術を教えに来てくれるのを望んでいたが、先生は援助を待つのではなく、自分たちで考えていく力をつけて解決していかなければ自立できないという考えだ。ふかい考えに感心した。村の子供たちに農場に行きたいと思う人がいるか聞いてみたら、二人ぐらいいてうれしく思った。

まとめ

 谷口先生が「熱帯は日本では分からない」と言っていたのがとても胸に残っている。私は食糧問題に関心があり、タイに行ってとても強くなった。そこでは雨季と乾季があり、乾季は全くと言っていいほど雨が降らず、雨季になると洪水が起こり肥沃な土壌も農作物も流されてしまう。熱帯はとてもダイナミックで計り知れない。日本で研究しても現地で農業をしてみないと意味がないと思った。

 タイに行くことができて本当に良かった。将来自分にはこの講義は関係ないかもしれない、でも行ってみたい、谷口先生に会ってみたいという理由で希望してみた。でもこんなに自分に深く影響を与えるなんて思っていなかった。いろんな事に興味が沸いて、自分の可能性がとても広がった気がする。それにとっても楽しかった!水周りは少し苦労したけど。色々な人に会えて、話せて、こんな体験他では絶対出来ない。一番サイコ−だったのはトラックの荷台に乗って走っているとき!絶対いつかオープンカー買おうと思った。農場のみなさんもとても好きだった。お世話になった方々本当に感謝しています。この講義で得たこと無駄にせず、いつかかたちを変えて恩返しできたらいいと思います。

国際協力体験講座を終えて

農学部生物資源化学科3年 

<はじめに>

この講義に申し込んだ直後、専門の集中講義と日が重なってしまい、タイに行けるか分らない状態だった。しかし、専門の先生の理解があり、今回タイに行くことができて本当によかったと思う。この講座を受講した理由は、高校の時に行った中国での交流が懐かしく、また国際交流をしたいと思ったことと、民族の所にホームステイすることや自分の専門分野である農業を通しての講座なので、観光ではできない貴重な体験ができると思ったからだ。実際にタイで過ごした10日間は、いまだに頭の中が整理しきれないほど、とても密度の濃い内容でとても満足している。その中でも特に印象に残った出来事について書いてみたいと思う。

<タイに来た>

福岡空港からバンコクまで飛び立った。機内ではタイ語を勉強したり、外を眺めたりととてもリラックスしていた。飛行機が離陸しても、タイに行くという実感はなかった。時間差があるので、自分の時計を2時間元に戻して、飛行機から降りた。その瞬間、チャダン香のような心地よい香りが風と共にやってきて、私たちを出迎えてくれた。部屋でたくような匂いが町中に広がっており、そのとき、初めてタイに来たと実感した。それから、空港までバスで移動した。そのバスの中で、6,70代の日本人男性が目に涙をためて、今にも泣きそうな感じで外を眺めていた。ハンカチを渡そうかどうか悩む自分がいた。しかし、結局渡せずに空港についてしまった。空港についてもおじさんは目を真っ赤にしていた。おじいさんの過去は知らないが、きっとタイに思い出深いものがあったのだろうと思った。そして、私はタイという国に、期待と不安を持って10日間を有意義に過ごそし、タイの抱える問題や現状について真剣に学ぼうと思った。

<エイズ>

911日チュン病院(HIVセンター)を訪れた。建物の中には看護婦さんなどを含めて20人くらいいた。その大半はHIV患者である。私は、初めてHIV患者に会った。とても痩せ細っていて、顔色が悪く、目に輝きがない。吐き気を感じたり、座っているだけで精一杯の患者もいて、HIV患者の病状も人それぞれだった。HIVの症状を抑えるARV薬で長く生きられるにしても、完全にHIVを治す薬は今のところ見つかっていない。自分の死をただじっと待つしかできず、それと同時に体がHIVに蝕まれていく。そこには、どれだけの恐怖があるは計り知れない。私は胸が張り裂けそうになった。逆に、顔色もよく、外見上普通の人と変わらないような、明るくて笑顔があふれんばかりの患者もいた。失礼かもしれないが、本当にHIV患者なのだろうか?と疑うほどだった。この患者達は、まだ症状が比較的現れていないことと、精神的に強いのだろうと思った。HIV患者との対話の時間が設けられ、タイのHIV事情について話してくれた。タイでは人口の約10分の1がHIVに感染しており、タイの中でも北タイはHIV患者が最も多い。HIV感染の8割が性的接触で、女性は男性より感染しやすく、出稼ぎや売春で感染してくるケースが多いようである。HIV患者の年齢層は361歳と幅広く、特に2530歳に多い。98%は農業をしている。HIVセンターの活動は、子どもたちにHIVの正しい知識を教えるため、HIV患者達がボランティアで小学校に行っているそうだ。その性教育の内容を私たちも一緒にしが、ゲームみたいでとても楽しかった。また、村の中のHIV患者のところにお見舞いにもいくそうだ。このような活動を通して、HIV感染を未然に防ぐことや感染した人たちへのケアを行なっていた。日本のような先進国からどんな援助をしてほしいかという質問に対して、お金より技術が欲しいと彼らは言った。HIV患者は体力がなくなるため雇ってくれるところがない。だから、仕事がなく収入源もないのだ。また、仕事は生きがい(生きる目的)として求めている人も多かった。

日本でHIVは比較的なじみの薄い病気で、危機感が全く感じられていない。私が持っていたHIVに関するデータといえば、感染経路や予防方法などで、自分には無縁の病気であるとさえ考え、とても恥ずかしくなった。しかし、ここに来てHIVがどれほど深刻な社会問題で、多くの人が苦しんでいることを知った以上他人事ではない気がした。谷口先生の発言で「自分の人生をまじめに生きる。家族や周りに困っている人がいれば、励まし助ける」とあった。この言葉を胸に、私ができることを探していきたい。

<高知民族>

915日、アカ族のマンロンイェン村を訪れた。前日の雨の影響で、泥沼状態だった。生徒達はトラックの荷台に乗って、初めはアトラクション状態ではしゃいでいたが2時間もその状態だったので、着いた頃はもうクタクタだった。標高1000m以上の山が連なり、本当に村があるのだろうかと思った。そこは、まさにウルルンの世界であった。牛、豚、鶏、犬、そして人が一緒に暮らしていた。村の人たちは快く出迎えてくれて、野生のバナナを食べさせてくれた。夕方になると学校から帰ってくる子ども達で、村はにぎやかになった。ヨハンさんが用意してくれたお菓子を子供達に配った。一列に並んだ子供達が嬉しそうにお菓子を貰っている。そんな子供達を見て、複雑な気持ちになった。子供達の笑顔が見れることは嬉しいのだが、日本人という立場を利用して貧しい人たちに物を与えているというような感じにとらえられたからだ。おとなしかった子供達がだんだん元気になってきて言葉は分らなかったが“遊んで”ということが伝わってきた。鬼ごっこ(私が鬼)したり、輪になって回ったり、日が沈むまで子供達とはしゃいでいた。食事は、アカ族の家で食べた。お客様が来たときは男の人が料理を作る習慣があり、バナナの葉をテーブルクロス代わりにして、ご馳走を出してくれた。すべておいしかった。この村では箸を使う習慣もあった。アカ族との交流会は、村の人々が1つの建物に集まり、電気がないのでランプの明かりの中で話し合った。IDカードの問題、教育の問題、森林問題と村の抱える問題はいくつもあった。今、何がほしいかという質問に対して村長さんは、土と電気がほしいといわれた。どれだけ日本が裕福であるかということを実感した。日本にいると物の大切さがわからない。物があふれすぎて、まだ使えるものを平気で捨ててしまう。そして、どんどん新しいものを求めていく。この村の生活を見ていたら、もっと物を大切にしようと今までの生活を見直すきっかけとなった。ホームステイさせてもらった家は、子供が4人とお母さんの5人家族だった。お父さんはと聞こうと思ったがが、聞いたらいけないような気がして聞けなかった。子供達にはタイ語が通じたが、お母さんは分らないようだった。アカ族の家族にはお父さんがいない家庭が多かった。おそらく出稼ぎに行っているのだろうと思った。次の日、もうアカ族の人達とお別れだった。アカ族の民族衣装を着て見送ってくれた。たった1日だったのでせっかくだったらもう少しいたかったが、この貴重な体験ができて本当によかった。

<最後に>

 タイでの10日間は楽しいことばかりではなく、タイの現状を知りつらく思うこともあった。また、自分を見つめ直すいい機会だったと思う。日本にいてはわからないことがたくさんあった。それらのことを、自分の中で消化し吸収するまでにはまだ時間が必要だが、きちんと整理していきたいと思う。そして、タイで感じたこと、学んだことを周りの人に伝えていきたい。今はそれが私にできる国際協力の1つであると思うから。最後にこのような研修を経験できたのはたくさんの人々の協力があったからです。本当に感謝しています。ありがとうございました。

国際協力農業体験講座 レポート

                                      農学部生物環境学科 2年   

 私はこの夏、タイに行ってきた。10日間という圧縮された時間の中で、こんなにも人の話を聞くのに一生懸命になり見るのに触るのに、食べるのに夢中になったのはこれが最初で最後のような気がする。その一瞬一瞬に感動し、驚き、喜んでは悲しみ、思い悩んだ時間。この熱い日々のことをどれだけ私は伝えられるか分からないが、この講座の感想を素直に述べようと思う。

 私がこの講座を振り返ってみて、最も印象に残ったのは、タイという異国の土地で懸命に働く数多くの日本人との出会いだった。いろんな形で彼らには、衝撃を受けた。以前から、国際協力ボランティアというものに疑問や違和感、そして果たして自分にはできるだろうかという不安があった。誠心誠意、その国の人々の役に立とうとすることは可能なのだろうか?と・・。しかし、谷口先生をはじめとして私と同じ民族の彼らは、そこで一生懸命、この国の未来を信じて働いていた。この国の抱える問題は、平和ボケしている私たち日本人には想像もつかないほどの、重たい悲惨なことばかりである。

貧困に全ての原因が誘発され、麻薬、エイズ問題、高地民族の生活基準の低迷などなど、あげだしたらきりがない。東南アジアはまだまだ発展途上国と言われているが、タイの場合、首都バンコクを見れば誰もそんなことは言わないのではないかっていうほど、高層ビルが立ち並び、人が行き交う。しかし、一歩奥地に出ればその落差あっての問題が山積みで・・。都会の人々の生活基準は上がる一方なのだが、そのペースに田舎の人たちはついていけず、しかしお金の支出は重なっていくばかり。そのあげくに売春だとか麻薬の運び屋などに手を染めていってしまう。きっと、この現実を目の当たりにしたら誰も彼らのことを正当な理由で責めたてることはできないだろうと思う。だからそこには、こんな残酷な現状をなんとか打破しようと頑張っているタイ国民とその周りの国際ボランティアの人たちがいるのだ。

農場でちょっとの間だけ一緒になった、ストリートチルドレンの保護をしている女性が私に言った。毎日毎日、今自分がしている事に疑問を持ってやっています。でも、そこに苦しんでいる子供たちがいる限り、理由が何であろうと私は彼らの手助けをしていくでしょうね・・と。そこまで彼らの為に必死になれる彼女を、私は本当に尊敬した。世の中にはボランティアを偽善活動だとか言う人がいるけど、生半可なことじゃこんな仕事はできないと思う。谷口先生は如何にして、その村が自立できるかをだけ考えて働いてきた。その答えとして先生が出したのが青少年の正しい教育であり、エイズ患者への生活面の実質的な援助などであった。また、農場で一緒に働いている池松さんという方は、東南アジア中の抱える問題に真正面から立ち向かってきた筋金入りの国際人だ。麻薬やエイズ問題には精力的にぶつかっていき、直接現地に踏み込んでいっていた姿がそこにあった。他にもタイの高地民族の未来の為に、民族の子供たちの学校の寮母さんとして働く女性、中野さんがいた。彼女の興味本位で始めたというその活動には、もう圧巻であった。そして海外青年協力隊の人たちにも実地の話を詳しく聞くことで、その苦悩もほんの少しだが理解できた。また海外ボランティアの人たちだけじゃなく現地の人たちも自分の民族のために子供の教育や、村の自立への道が開けるように寮をつくったり、農場研修を提供したりしているのだが、その枠組みやフィールドは何であれ、なんとか彼ら彼女らの生活力の向上を願って、ひたむきに頑張っている人々の姿に私はただただ、自分の浅はかで未熟な考えを恥じるばかりであった。そしてそれと同時に私が今回、この講座のテーマとして持っていた国際協力とは一体何なのか?についての一つの答えが、少しだけ見えてきた。

まだまだ、完全な答えではないのだけれども私が感じるに、人々がそうして働くのには理由はないということだ。国際援助だとか、異国の土地あるだとか、そういった境界はまったくなく、そこに困っている人がいて、自分にその手助けができるとき、励ましてあげることができるとき、それは簡単にかつ誰にでもできることなのだ。だって、少なくとも私たちが出会った人たちは、何も特別なことをやっているようでもなく、特別な人間でもなかったから。彼らはただそこにいたくて、そこにいる村人や子供たちが大好きで、その人たちの為に自分ができる限りの事を、できる範囲のなかでやっているのだなあといきいきと動き回る彼らのその姿を見て私は感じた。

最後に私は、実を言うとこの講座に結構大きな期待を持って参加した。そして、それは私を裏切ることなく更に大きな成果を私に与えてくれた気がする。人を助ける。支える。その当然なことを私にもできると思えたし、また日本人という民族に誇りを持ちつつ、一方で一人の地球人としてこれから自分に何ができるのかまあ気楽に、また特別意気込まずにゆっくり考えていこうかと今、思っている。

そしてここで、いろいろお世話になった先生方や現地の方々に心からお礼を言いたいです。本当にありがとうございました。

 

「国際協力農業体験講座」レポート

法文学部法政策学科二年

[ 初めに ]

 9月9日〜18日の10日間の講義の中でいろいろなことを学ぶ事ができた。その中で自分が特に印象深いものを後述する。

[ 土着菌を使った豚の飼育 ]

 21世紀農場で土着菌を使った豚の飼育を目の当たりにして想像以上に驚きをうけた。以前ある雑誌で「豚は清潔な生き物である。ただ今の飼育環境が劣悪な為の御幣である」と読みさらにこの飼育法についても言及していた。それは「土着菌による分解で豚がふんを食べてくれるのでそれを始末もする必要はないし、また豚のストレスも一般法に比べて少ない」という事だった。こういう知識は持っていたものの、「百聞は一見に如かず」ではないが都市内でも飼えるのではないか、又、主婦の副業としてもできるのではないかと思ってしまった程驚いた。池松さんの説明では試験中で今後肉質の検査等を経て導入が検討されるというが21世紀の新しい農業として脚光をあびるのは間違いないと思った。

[ エイズと麻薬と「貧困」 ]

 この講義を通じて谷口先生が終始一貫して繰り返しおっしゃっていた言葉がある。それは「エイズも麻薬も元々は「貧困」が生み出したものである」ということである。この講義中にその意味が少なからず分かった。エイズに関していうと、売春婦にエイズをうつされたといってすべて彼女達がすべて悪いような錯覚に陥りそうだが彼女達も好きでそうしてるわけではないだろう。つまりすべては「生活の為」との思いからきていると考えられる。麻薬に関しても同様なことがいえる。「子供を学校に行かせたい」との思いから麻薬を決死の覚悟で売りに行くという話を聞かされた時胸がつまる思いがした。非難される対象はこのような人達ではない。寧ろ彼らは犠牲者であると思う。では、自分なりに誰が一番の非難されるべき対象たるべきかを考えるとやはり「買い手」ではないかと思う。「買い手」がその行為を止めれば「売り手」だって自分達の新しい道を模索するだろうし、また、ひいては自分達の私腹を肥やす事や快楽を求める事を止めることになればこれまでの人類の歴史を根本を変える事に繋がると考えるからだ。

 エイズは「人間が性交を遊びに使い出した事への警告である」と谷口先生の著書で書かれておられる。この病気に感染された方には気の毒な言い方をされているかもしれないがこれは確かにその通りだと思う。また、それを思うと同時に今後人類はどうこの問題とむきあっていくか、自分達は何をすべきかの火を灯しているようでならない。

[ 援助を考える ]

 援助という言葉を手元の辞書で引いてみると「助けること」と書いていた。確かに一般的にそうとらえて構わないと思う。ただ実際援助を受けているところの方の話を聞いてみると「額はぎりぎり」とけっして満足はしていない様な印象 をうけた。しかし、これは「援助のあるべき姿だ。」と自分は思った。なぜ、そのような考え方をするのかと疑問に思う方もおられるかと思う。なぜそう思うのか。それは高校生の時代の先生の話からある話を聞いた事に由来する。それは「過度な援助は返ってその国の人をだめにする。なぜなら援助に頼りすぎて自分で何もしなくなるからだ。」という類の話だった。これを自分の経験にあてはめればすばらしい先生に授業してもらってそれに慣れてしまい「当たり前だ」と思ってしまうといった感じか。もちろん人は誰かに支えられて生きているが、何事も「自発的」に動かなければ問題は解決しないし、過保護しすぎても結果としてはよくない。そうこの問題に触れて改めて実感した。

[ 人口爆発 ]

 この講座で改めて感じた問題が「人口爆発」と「農業」との関連である。国連人口部は世界人口は2050年までに93億人になるだろうと指摘している。この93.億の人口を地球の資源が養えるのかといった課題に「NO」と答える見方が一般的で、寧ろ地球での人口は限界に達しているとの見方もあるほどだ。それと農業との関係は切り離せない関係にあるとは周知の事実である。これだけの人口を養おうと思えば想像するところに科学肥料の多用、遺伝子組み換え食品などのとにかく食料の「大量生産」を目指す方向に走ると考えられる。そして結果として土地が痩せ地球では食物ができない状況に陥ると考えられ非常な事態を招くことにと個人的な見解であるが考えている。そういった状況を招く前に人口を減らすことを最優先にと考えればと考えると国際社会からは「非人道的な方法」として非難されると考えられ、一筋縄でいかない。しかしながらこの問題を解決するには課題が山積みだが「持続可能な社会」をめざすには可能な限りの人口抑止策をとるしかないとは個人的な意見ではあるが・・・

[ 農業とは ]

 最近の日本人の根底にあるものとして「安くて安全な食品」を求める傾向にあるのでないかと考える。日本でのBSEの問題についても農薬の残存の問題でも過度に反応したことは記憶に新しいが根本が日本人のこの意識が原因ではないかと最近思っている。そう思っているところに谷口先生の「有機農業は金がかかる」という言葉に衝撃とそして自分の考え方が間違えでなかったと感じた。農業は生き物を扱うものである。生き物ゆえに病気にもかかることもあるだろうし育ちが悪い事もあるだろう。それは一人の人間を育てるという行為に等しいのでないか。だから「安い」「安全」の両方を共存させる事はほぼ不可能に近い。「安全」を求めるならコストがかかるということをはっきりと理解してもらいたい。そして食物は金さえだせば買えると思わないで欲しい。日本人がこの考え方を改めない限り未来はない。万人が農業をしなければいけない時代は今後必ずくる。その時に大変さに気づく前に今からでもはっきり理解して動いていく、そういう心意気が必要だと思った。

[ 最後に ]

 この講座は谷口先生をはじめ多くの方々と支えで成り立っているものだと改めて実感した。人間生活の原点をみた気がしてならない。そして最後に感謝の言葉を言いたい。

 「皆さん、本当にありがとうございました。」

 

 

国際協力農業体験講座を終えて             農学部・森林管理2年

日本に戻ると日常に埋もれてしまい、あのすばらしく充実していた10日間がまるで夢であったかのように過ぎていくことにどうしようもない焦りを感じている。あの10日間は日本を離れ、知らない土地で十分に物事を考えられる環境にあった。多くの人に出会い、日ごろ考えていたことや疑問に思っていたことをぶつけ、できる限りのものを吸収した。日本にいたら何も見えない、そう谷口先生は言っておられた。これからは周囲に流されそうになる自分との闘いだと感じている。この研修を自分だけのもので終わらせるのではなく、人に伝えるために、森林・農業、エイズ、山岳少数民族、国際協力の4つの視点でまとめてみようと思う。

<森林・農業>

森林管理学コースに所属する自分はタイの森林を守るプロジェクトを行っている森林局の方のレクチャーが大変興味深いものだった。国土の20%しかない森林、確かに高地民族の村に向かう途中見た山々は焼畑によって丸裸であり、木の生い茂っているところはなくて、ほとんど草地や畑だった。初めて焼畑による森林破壊を目の当たりにし、茫然としてしまった。森林を守るプロジェクトとして、今村にある森を守らせ、また失われた森を再生することと、農民個人にお金を貸し付け、苗を与えて森を育成させることの2つがあった。後者はある程度木が成長したら切って利用してよく、指導・管理も森林局の方がされている。農民たちは国のものなら大事にしないが、自分たちのものならルールを作り、大事にするようでどちらも大変成功しているとのことだった。しかし高地民族の村で聞いた話では、焼畑によって荒れた土地をほうっておけばすぐ森林局がやってきて木を植えるので畑にする土地がどんどん減っていくとおっしゃっていた。この両者の認識の違いはあったが土地をそのままにするより、木を植えて地力を回復させたほうがいいし、また森林局に土地を取られないように野菜や果樹を栽培しようと農民の意欲を駆り立てるのではないだろうか。また、北タイではゴムのプランテーション栽培が始められていた。パヤオ農業高校でも広大な土地に植林していた。今、ゴムの需要が伸びており、栽培が盛んな南タイよりも有利な条件がそろっているのだそうだ。今年から農民に無料で苗を配布し、補助金を出すそうである。目的は主に農民の現金収入のため、また山に木が全くないよりいい、洪水による土砂災害も防げる、ということだった。環境への影響を尋ねると、今は良い点しか見えていない、それに日本とは違う、といわれた。将来生態系に悪影響を及ぼすのではないかととても不安に感じたが、やはり農民の収入をー番に考えるのは経済的にはまだ貧しいタイでは当たり前のことで環境修復のための植林というのは経済的に余裕のある国に住む私たちのー方的な考えに過ぎない。しかし、発展する過程で大事な森を失い、環境を悪化させてきた自分たちだからこそタイの開発をともに考え、助言していくことができるはずだ、とも思う。とても難しいことだけれど。

次に農業について。谷口先生の21世紀農場ではバヤオ農業高校の生徒9人と先生方が一緒になってあらゆることを行っていた。米ぬかや岩塩、合鴨ならぬアヒル農法等さまざまな有機栽培が研究され、青々とした立派な稲を育てていた。ほかにも堆肥、炭焼き、養鶏、養豚など。この農場の10年後、20年後がとても楽しみである。土着菌を利用した養豚は豚のストレスが少なく、排泄物を外に出す必要もなくて体力的に楽であり、匂いもなく、清潔だったのが印象的だった。土着菌、有機農業、畜産、興味の対象はますます広がる。私は昨夏、酪農家でアルバイトをして思ったのだが、私たちは自分たちの食に関してあまりにも無関心すぎるのではないか、それがどのようにして生産され、流通しているのか知らなすぎるのではないか、犠牲になった動物たちに感謝する心が全く失われているのではないか、、、1日中、1年中、休みなく働く農業の大変さ、経験してみて初めてわかったことである。飽食、グルメ、ダイエット、肥満、海外に依存しきっているのに日本の食はあまりにもひどい。世界には最低限のカロリーさえ摂取できない人たちが大勢いるのに。食べ残しをしない、無駄をしない、最低限の礼儀だと思う。農業は劣等産業ではない、と池松さんは言われていた。私たちは発展の過程でそれまで基盤産業であった農業を軽視し、共同作業、助け合いという村社会を失ってしまった。「われわれは食糧を生産する戦士である」という21世紀農場に掲げてあった言葉。タイは発展する上で工業化を追い求めるのではなく、農業の重要性に気づいた。日本のような過ちは決してしてほしくない。直接見ていないので先生の話や書物からしか判断できないが、タイの農業はまだまだ延びる余地が十分にあると思う。21世紀農場の生徒と話し、農業に対する真剣な思いを感じ、このプログラムは大変将来性のある、魅力的なものだと思った。

自分は農業、森林どちらも同じくらい興味があり、進路を迷っていたのだが今回の21世紀農場、森林局のレクチャー、そして自分の目で見た焼畑の現実などから新たな目標を持つことができた。焼畑で地力の低下した土壌を回復させ、森を再生してみたい。と同時にその土地で農業もやってみたい。森林と農業、切っても切り離せないものだと気づいたことが大きな実りであった。

<エイズ>

訪れた病院は患者さんたちの憩いの場となっていて、ここに来るようになって生きる楽しみができた、同じ境遇にいる人たちと助け合える、とおっしゃっていた。一緒に時間を過ごす中でこの人たちは自分たちとなんら変わらないのだ、と当たり前のことにいまさら気づいた。むしろこの方たちのほうが「生きる」ことにー生懸命で明るく、たくましくて見習わなければならないことのほうが多かった。私たちは彼女らに何を与えられただろうか。他国にどのような支援を求めますか、という質問をした際、母親が一番心配なのは子供のこと、自分が死んだら誰が援助するのか、、、だから奨学金で支援してほしいとおっしゃっていた。なまずやミシンでわずかながらも収入を得ようとし働くことで気を紛らわせる姿に子を持った母親はとても強いなと思った。女性のほとんどは不誠実な行為をしてきた夫から感染する。自分ならどうだろう、恨まずにいられるだろうか、夫に先立たれ残されたとき、生きていくエネルギーは持っているだろうか、子供を育て終えるまで生きていないかもしれないという不安な身体を抱え、笑うことができるだろうか、、、。いつも思う。私たちは健康な身体を授かり、勉強もスポーツも恋も好きにできる自由がある。私たちは明日も今日と同じように朝が来ると信じて疑わない。しかし世界にはそれら以前の「生きる」という基本的な欲求さえ満たせない人たちのほうが多い。それはエイズなどの病気を持つ人々であったり、貧困で食料を得られなかったり、戦争で犠牲になったり、、、。決して自分が悪いことをしたわけではないのに。たくさんの人や生き物に「生かされている」ことへの感謝、異なった環境に暮らす人々を思いやる気持ち、経済的格差が大きくなるにつれ、ますます希薄になっていると感じる。毎日の生活が当たり前のことだと思わずに自分がどんなに恵まれているかをいつも忘れずにいたい。救いを求めている人すべてに手を差し伸べるという姿勢、異国の土地で一生を他人のために尽くすという精神。谷口先生を動かしているエネルギーはいったい何だろう。本当に頭が上がらない。この不平等でアンバランスな世界で自分はいったい何ができるか、今は何一つわからない。しかし決して考えることをやめてはならないと思う。

く高地民族>

村の始まりとはこういうことなのかなと思った。村の中心に広場があり、何十人もの子供

たちが村中を駆け回り、大人もそれを見ながらのんびりと家事をし、集まっては話に花が

咲く。時計など関係なく、ゆったりと時間は流れていく。村全体がー様に貧しく各家庭で

ほとんど差がないから犯罪など起こるはずもなく、平和な村という言葉がぴったりの風景

だった。日本はコミュニティというとても大事なものを失ってしまったに違いない。子供

たちにお土産としてクッキーを持っていったのだが、長い列を作り洋服を広げて待ってい

る姿を見て、難民キャンプで食糧の配給を持っている人々の姿を思い出し、私は何か釈然

としないものを感じていた。子供たちは喜んでいたけれど、物を与えると同じ人間であっ

ても必ず上下関係が生まれ、持つ者と持たざるものの差が生じてしまうのではないか、と。

生きるために必要なものは本来はとても少ないのではないかとこの村を見て思った。もの

があればあるほど、便利になればなるほど貪欲になり、それなしでは暮らせないほど人間

力というか生きる力が乏しくなっていく。情報が入るほど他国や周囲と比較し、物を得る

手段としてお金が入ってきて人が犯罪を犯すようになる。私はこの村に何十年後も同じ風

景を望んでしまっている。このコミュニティを大事にしてほしい、日本のように失ってほ

しくないと思う。しかしそれは身勝手で本当に申し訳ない考えなのだろう。実際村の人た

ちは、道路がほしい、電気がほしい、情報がほしいといっていた。村への道は道とは呼べ

ないほど悪く、雨が続けば何ケ月も隔離された環境になり、下からの食料も届かない。病

院もだいぶ下のほうにあった。農作物も何が売れるかわからないから何度も失敗したそう

だ。こうした欲求はあって当然で、私たちが止めることなどできない。いずれこの村も変

わっていくだろう。選択するのは彼らの自由。渡航前にある先生が言われていた言葉の意

味がようやく理解できたけれど、彼らのかけがえのないすばらしさに気づき、伝えること

ができるのも発展してそれらをなくしてしまった私たちだからこそかもしれない。

<国際協力>

青年海外協力隊の2人の方にお会いし、これまでずっと疑問に思っていたことをお聞きし

た。2年という任期は短くないか。それに対し、2年、3年、4年といても何か形のある

ものをというのは難しいし、技術ではなく心の援助に時間は関係ない、と言われていた。

協力隊には日本に帰ってがんばってほしいといった自己開拓の意味もあるのだそうだ。時

間の長さでなく、その日出来ることをー生懸命、そして日々努力していけばいいと言われ

た。自分は海外でー生何かやっていきたいという思いが強い。周囲との衝突や失敗が多く

あるだろう。そんな時私は2人の言葉を思い出すだろう。今まで遠くに感じていた協力隊

か同じ人間なんだ、失敗してもいいんだと少し身近に感じられた貴重な出会いだった。

この研修を終え、やはり自分の中では海外をー生の舞台にしたい、人々の貧困に潜む食糧

問題や環境破壊、そして私たち経済先進国のライフスタイルや意識の問題にー生携わっていきたいという思いが一番大きいことに改めて気づいた。どういった形でかは今はわからないけれど。これらは考えても答えの出るものではないかもしれない、けれど考え続けなければならないと思うし、行動しなければ何も変わらない。今は目の前にある大学での勉強を大事にし次に動くための知力を蓄え、情報を集めるのに専念しようと思う。とても大きな出発点となったこの研修に出会えた自分の幸運を喜び、支えていただいたすべての人に感謝したいと思う。希望を言えば実際に農場生と一緒に農作業する機会を持ちたかったことと、高知民族の村での滞在の時間をもう少し取ってほしいということだ。これからも多くの人にこの研修をよりよいものにしていってほしい。もうー度タイに行きたい。今度は何かを得るだけでなく、何かを与えられるようになって。